こんにちは、Chim↑Pomです。
アノマリーのグランドオープン、おめでとうございます!
グランドオープン!嘘みたいに華やかな新店舗開店の見出しとか、多幸感溢れる地域再開発のプレスリリースとかでよく見るあのパンチライン。壮大な開放!とは一体どれほどのキャパシティを備えた開放なのでしょう!楽しみです!日本を背負って立つであろうコマーシャルギャラリー・アノマリーには、是非とも昨今の公共空間や美術館、アートフェスなどがミッションとする「一般の皆さま」へのキャパじゃなく、真にディープな人間性へのキャパシティを追求していただきたい、と思う所存です!
大人数に開けば良いってもんではないですしね。って例がひとつ。最近の公園は民営化が段階的に進んでいるそうです。
「公」園じゃねーじゃん!
って声を荒げたアーティストがおりまして、友人の松田修。ゲトー出の育ちの悪いカス野郎のくせに、これが何を思ったか無謀にも公園で素敵にランチを食べようなんて思い立ち、手作り弁当を持ってベンチに座っていたそうです。身の程知らずというか、案の定弁当を食べる姿を見た人から「公園に入りづらくて」と通報されたそうです。www
それで声高に、
パブリックとは!
なんて酒の勢いでアジるわけですが、聞けばそもそもパジャマ姿の寝癖のオッさんが昼間っから手作り弁当を公園でってw。わざわざご足労をおかけした警察の肩を持ちたくなるような案件ですが、でもまあ、たしかに松田の寝言にも一理アリというか。上野公園もスタバとテキ屋が選手交代したって話ですし、思えば皆んなパブリックとマジョリティの区別がつかなくなってきちゃってるんですね。
ていうか、それこそ天王洲の街づくりをリードしている寺田倉庫、そしてその物件に入るアノマリーを横目にまことに言いづらい話ですが、結局アートだって同じ穴のムジナというか、天王洲と直接関係あるかないかはともかく、例えば松田みたいな汚ねーアーティストを地域から追い出すジェントリフィケーションも今のアートシーンの一大イシューなわけですし。
もっと言えば、その土地の価値をつり上げる当事者側、つまりアーティスト松田を追い出す不動産側にも、皮肉なことにアーティストの存在があるわけで…!そう、例えばこの場合で言うとアノマリーのこけら落としを務めるChim↑Pomってことになっちゃうわけですがw。なんて難解な業界になったのでしょう。
だって、Chim↑Pomとひとくくりに言ったって、なんならメンバーそれぞれは松田と同じくどうしようもない。職質2時間は当たり前、警察にChim↑Pomカーを止められたら荷台にあった工具がまるで人殺しか窃盗のツールのような嫌疑をかけられるくらいの怪しさです(実話)。
とはいえ、そもそもアーティストなんてそんなもんというか、それでも個のエクストリームな振り幅を作れるかもなって、空虚な期待で色々大目に見てもらっていたカスな存在。それが一体何に巻き込まれているのかと、我が身を案じずにはいられません。
例えばすっかりアートが溶け込んだ街の中では、ストリートアーティストがデペロッパーの壁を受注しているし、メディアアーティストが公共事業と日の丸を背負って何故か国家の責任とかまで感じているし。そしてほとんどのコンテンポラリーアーティストは、まるでキュレーションやアートフェアの挿絵のようなポジションを得て喜んでるし。で、社会人としての実績と、アートの意義やテーゼをTEDのステージで語るんですよw。どうせ。何せ今はアンチテーゼの時代でもないですしね!って言えば言うほどカスを駆除したい多くの人々も喜んじゃって、お互いウィンウィンって意味わかんないし。
公と個。容れ物と人。都市論を考えながらプロジェクトを連発してきた結果、一周回って「個が面白くないと面白い公なんてできるわけないじゃん!」って何故か個のニュアンスに萌えだしちゃいました。暴論を言えば去年キタコレに作った道もそのパターンで、バーがあるからか毎晩誰かがゲロを吐いてくれていて、そのおかげで道が育ってるんですよ!ってこんなんきっと賛同得にくいマニアックな私道の美学なんでしょうが。
しかし、官民一体で公共がオープンしている場にはそんなシャレは挟めなくて、だって結局それは「壮大な人数の消費者」用でしょ。その代わり、ホームレスもアクティビストも、つまり「当事者」はひとり残らず退出通告を突きつけられていて、デモも無い、テロは怖い、エリイのように路肩で野ションするような始末に追えない女なんてそもそもいないのです。
リニューアルがデフォルトとなった東京の街中で、あちこちから聞こえるグランドオープンの呼び声に誘われつつも、僕らはむしろクソみたいに誠実に開かれた、もっと「壮大な開放」は何か、そのグランドオープンを画策してみたいと思うわけです。
Chim↑Pom
2018年11月