2024年9月21日 (土) - 10月19日 (土)
開廊時間:12:00 – 18:00
休廊日:日 月 祝
オープニングレセプション:9月21日 (土) 17:00 – 19:00
*作家も在廊致します。
トークイベント:10月5日 (土) 18:00 – 19:30
登壇者:潘逸舟、三木あき子(キュレーター)
*最終日10月19日 (土) は20時まで開廊いたします。
ANOMALYでは、2024年9月21日(土)から10月19日(土)まで、潘逸舟の個展「波を耕す」を開催いたします。
潘逸舟(b.1987)は上海に生まれ、幼少期に青森へ移住、現在は東京を拠点に活動をしています。社会と個人の間に広がる力学、他者と個人の相互的影響関係やそこから芽生えるアイデンティティについて探究を続け、多彩な表現力のもと、映像やインスタレーションをはじめ、写真、立体、パフォーマンス、絵画と、さまざまなメディアを用いた活動を行っています。国内外の数々の展覧会で精力的に発表を続ける、いま最も注目の若手作家の一人です。
本展では、代表作のひとつである、潘自身が海に向かって行うパフォーマンスを定点から撮影した映像作品シリーズより、最新作《波を耕す-日本海》を展示いたします。この作品では、潘が鍬をふりかざし、波を掘り返している様子が映し出されます。形をもたない波は土のように掘り返すことはできないところ、潘は自身の肉体を荒波に介入させ、この終わりのない労働を延々と繰り返します。幾度となく襲いかかる波は、石や岩を侵食、形成するように、潘逸舟というアーティスト自身のことも形成(=耕)しているのでしょうか。この「耕す(cultivate)」という語は、「文化(culture)」と同様に、ラテン語で「耕す/住む/崇拝する/守る」等の意味をもつ”colore”を語源としています。また耕すという労働は、土地を育てることによる人間の定住や社会参加につながっており、潘はかつて次のように語っています。
「私の作品では異なる社会に参加することを、見知らぬ風景への介入によって表現してきた。その中で海は、私から見ているこちら側と見えない向こう側を隔てると同時につなぐ境界であり、風景でもある。だからこそ、私は自分自身の生活を、海という場所に向かって描いてきた。海に向かう身体は、自然の力に抗う人間であり、社会が作り出す政治に抗う個人でもあるだろう。私にとって住むことのできないその場所は、作品を作る行為を通して、居場所ともなったのである。ほんの数分間の映像作品は、日記を書くかのように、切り取られた風景の中でただ生きている身体を記録する 。」(1)
潘が撮り溜めたホームビデオの音声が辞書から聴こえてくる《辞書が言葉を学ぶとき》も、今回はじめて発表される最新作です。音声からは、赤ん坊が発する言葉になる前の音/声が確認できます。ここでの声たちは、辞書の中で言語化(全体化)できるようなものではなく、あくまでも”私(たち)だけのもの”です。このような、産声、笑い声、泣き声、歓声、叫び声など、辞書に決してまとめられない、体系化できない多様な声たちによって、世界は構築されています。言語の体系である辞書が、その全体性を解体され、ものとしての形はそのままに非常にプライベートな音声を伴うその姿は、まるで辞書自身が新たな言葉を学んでいるようでもあります。
さらに、高松市美術館で開催された「高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.10 ここに境界線はない。/?」展 (2022年) にて発表された《タイム・アンド・スペース / イサム・ノグチ、1989年作》も再構成し展示いたします。本作は高松空港近くに現存する、イサム・ノグチの石積みの野外彫刻作品《タイム・アンド・スペース》に自生する植物たちを撮影した写真作品です。アキノノゲシ、オオアレチノギク、オッタチカタバミ、シナダレスズメガヤ、ススキ、タカサゴユリ、ニワウルシ、メヒシバ、ヨモギなど多様な植物が石と石のわずかな隙間にしたたかに生きています。作家の意図を離れ、美術作品という場所で生きる植物を作品の中心に据えることで、果たして何を芸術と呼ぶのか、その領域性を問いかけます。また、半恒久的に残る堅牢な「石」という存在に対し、種子が風や動物、人間などの媒介者により遠くへと運ばれることで発芽し、一年草、二年草や多年草が転々と移動し、混ざり合い、環境に応じて変化を続ける植物たちは、一般に「雑草」として括られ、環境整備をする中で常に刈り取られてしまう対象です。その存在に眼差しを向けることで、構造の中で可視化されないものを共有する可能性を問いかけます。
潘はそれぞれのモチーフが有する全体性に、われわれ一個人がどのようにコミットすることができるのかを問いかけます。そして潘が一貫して取る態度には、対象から距離を取るのではなく、意識的に働きかけ、凝り固まった構造を私事として読み込めるまでほどき、再構築する積極的なものがあります。社会が複雑化するなかで、個人間の繋がりがますます広がりをみせる一方、反作用のように単純な答えを求める暴力や煽動的な言動が目立つ現代社会において、全体に飲み込まれることなく、主体的であることの可能性に迫ろうとしているのです。本展が、自らがしたたかに生きる土壌を耕すきっかけとなれば幸いです。皆様のご来廊を心よりお待ちしております。
本展会期中には、キュレーターの三木あき子氏と潘のトークイベントも開催予定です。弘前れんが倉庫美術館での二回にわたる展示や小豆島の福武ハウス、中国・山東省でのアート・プロジェクトで協働したアーティストとキュレーターの密なトークにぜひご期待ください。
また、10月12日より丸亀市猪熊弦一郎美術館で開催されるグループ展「ホーム・スイート・ホーム」に潘が参加いたします。11月30日からはQueensland Art Gallery (ブリスベン、オーストラリア)で開催される「第11回アジア・パシフィック・トリエンナーレ (APT11)」にも参加いたします。併せてご高覧頂けますと幸いです。
註
(1)『MOTアニュアル 2021 海、リビングルーム、頭蓋骨』東京都現代美術館、2021年、p.035
潘逸舟
1987年上海生まれ。東京都在住。
映像、パフォーマンス、インスタレーション、写真などのメディアや身の回りの日用品などを用いて、共同体や個が介在する同一性と他者性について考察する作品を発表している。幼い頃に上海から青森に移住した経験を持つ自身の視点をベースに、切り取られた日常風景の中に自らの身体を介入させ、社会と個の関係の中で生じる疑問や戸惑いを、真摯に、時にユーモアを交えて表現する。
これまでの主な展覧会に、「アジア・アナーキー・アライアンス」関渡美術館(台北、2014年)、「Whose game is it?」ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(ロンドン、2015年)、「In the Wake – Japanese Photographers Respond to 3/11」ボストン美術館(ボストン、2015年)、ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク、2016年)、「Sights and Sounds: Highlights」ユダヤ博物館(ニューヨーク2016年)、個展「The Drifting Thinker」MoCA Pavilion、上海当代美術館(上海、2017年)、「アートセンターをひらく 第Ⅰ期 / 第Ⅱ期」水戸芸術館現代美術センター(茨城、2019年)、「Thank You Memory −醸造から創造へ−」弘前れんが倉庫美術館(青森、2020年)、「りんご宇宙−Apple Cycle / Cosmic Seed」弘前れんが倉庫美術館(青森、2021年)、「MOTアニュアル2021ー海、リビングルーム、頭蓋骨」東京都現代美術館(東京、2021年)、「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol.18」東京都写真美術館(東京、2021-2022年)、「ぎこちない会話への対応策―第三波フェミニズの視点で」金沢21世紀美術館(石川、2021-2022年)、「国際芸術祭 あいち2022: STILL ALIVE」愛知芸術文化センター(愛知、2022年)、「ホーム・スイート・ホーム」国立国際美術館(大阪、2023年)などがある。オーストラリアやアメリカでアーティスト・イン・レジデンスに参加、2020年には日産アートアワード2020グランプリを受賞した。